Write by Mt.Buchi
2001/08/03 更新
(うちの子にこの本を貸してくださった坂戸中学校の佐藤先生に宛てた手紙)
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丘修三さんというと全国障害者問題研究会発行の『みんなのねがい』に 去年の4月から今年の3月まで連載していた方ですね。連載の開始時の 著書紹介の冒頭が『ぼくのお姉さん』だったので、この作品名が記憶に 残っていましたがこういう作品だったんですか。連載された作品世界に 触れるにつけ、この方の作品を読んでみたいと思っておりましたので、 思わぬ機会をありがとうございました。 この家族の朝の出かける前のやり取りを見ていると、「みんなのねがい ネット」に幹子さんという方が書き続けている『重度精神薄弱児順子と その周辺』が思い浮かびます。順子さんの父であり幹子さんの夫である 人もこうだったんだろうなぁ。仕事に追われる忙しさの中で順子さんと キチンと向きあうことからエスケイプしてたんだろうなぁと。もっとも、 このママが幹子さんなら我が子の発する言葉をこんな風に曖昧なままに 放っておきはしないとは思いましたが。 私はといいますと、幹子さんの「子育て」連載で、順子さんとの言葉に よる意志疎通の過程をかいま見させてもらったおかげで「お姉さん」が 発した「えとあんく」以外はスーと意味が通じました。やはりコミュニ ケーションとは日常(親しんでいること)の延長だなぁと思いましたし、 その日常の中で、言語形態には様々な形とそれぞれの発達過程があると いうことを意識できているかどうかだけで、かなり違うぞと思いました。 会話を交わすことに困難のある人に限らず、現在の(学校を含む)社会 環境の中では特別の手立てを必要としている人と(一次的にせよ)共に 過ごす場があったかどうかだけで、その後にめぐってくるかもしれない 出会いのときに、よくわからないことからくる足のすくみが減るぞと。 レストランのメニューの場でピンときました。おまけに、その先を読む 前に支払いのことまでピンときて涙が伝いました。何故なら、私の弟も 5千円以下だったからです(しかも、共同作業所があるのは隣の隣の市 ですから、朝7時半に送迎バスに乗り、帰るのは夜の6時半ときます)。 お父さんの「笑顔がこわばって」いたのは、一日働いている者としての やるせない思いがよぎったからだと思います。労働の対価は賃金であり 賃金は労働の(支払う側にとっての)評価です。父親にとっては初めて 現実社会に出た我が子の社会的評価が月額3千円だという冷厳な宣告が 今回の「給与」だったということです。 弟くんは、今回の作文の『ぼくのお姉さんは、障害者です』の後に何と 記したのでしょうか。それが(そこで筆を置いた)作者の問い掛けなら 私は、結論的には次のように記したいと思います。「それが社会的評価 なら、評価する社会そのもののを変えなければいけない」と。いわゆる ボランティアを否定するつもりはありませんし、私もまた関わっており ますが、しかし、対症療法にとどまっていては対処しきれなくなるのが 限りある時間の中での私たちです。特別な手立てを必要としている人は 何時でもおりますが、一個人にしか過ぎない私たちは何時までも関わり 続けることが出来るとは限らないのですから。 追伸 それと、個人的な出会いが、この本の奥付にありました。今年の4月に 亡くなった今村アイさんという方の葬儀を手伝ったんですが、その席で 今では息子さんに引き継いだものの出版社をしていたことを知りました。 その息子さんはボローニャに出展のため出席できないというのを聞いて 童話を出している出版社という印象を持ったんですが、今回のこの本の 発行人名で確認できました。「偕成社」だったということを。 |
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