Write by Mt.Buchi
2002/06/25 登録(06年8月9日更新)
(02年6月25日発行のアメディアのメルマガ掲載)
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それは9年前のちょうど今ごろ。うちの娘がこんなことを呟いたのでした。 「今日のは、キリカにはちょっと難しかったけど、面白かった。今度は『ぞろぞろ』、やらないかなぁ…」 どういうことかと言いますと、うちのキリカくん(当時9歳・独身「『将来美人』と三遊亭圓窓師匠の御墨付き」と某私が頼み込んで言わせた (笑))は、その1ヵ月ほど前、特に名を秘す某事務所で、音声合成装置の音次郎くんによる落語を聞いたんですが、実はそれが(テレビ以外では)初めての落語体験でした。初めての落語がパソコンの音声合成装置からだったとは時代の最先端を行ってたんですね(そのときだけは (笑)) で、そのときの演題が、『六尺棒』と『ぞろぞろ』で、隣で一緒に聞きながら、うーん、果たして、『六尺棒』に出てくる「勘当」の概念が、小学校の3年生につかめるんだろうかと、ちょっとばかり心配してたんですが、真剣な顔で聞いていました。でもって、「ぞろぞろ」のくだりは、やけに楽しそうでした。 そして、家に帰るなり『ぞろぞろ』を母親に夢中になって!報告するんですね。なもんで、これは落語に目覚めさせる良いチャンスとばかりに「圓窓五百噺」に誘ったとき圓窓師匠が落語協会の機関誌「ぞろぞろ」の編集長もやっているのを知って、今度は『ぞろぞろ』が聞きたくなった、うちのキリカくんでした。 そうそう、『六尺棒』のほうですが、「どんな噺だったのか、そっちのほうもお母さんに教えてあげたら…」と、水を向けてみたんです。すると「勘当された若旦那が…」と、噺をつかんでいるじゃありませんか! 「ゑっ、“勘当”って知ってるの?」と尋ねたところ、何と、『ドラえもん』に出てきたというんです。
何だか、落語のようなお話です (笑) それにしても、音次郎くんといった音声合成装置(今なら音声読み上げソフト)には表情がありませんよね(あったら大変です (笑))。音次郎に演じさせるためのデータを作成した人が落語らしく聞こえるように区切りを入れるなどそれなりの苦労のたまものだったとは思いますが、所詮は合成された音です。どうしても、生の落語にはかないません。語り手の息づかいが無いからです。 ところが、そんな音次郎くんからであっても落語の楽しみに目覚める子どももいる。考えてみるとそうですよね。落語には読む落語もあるわけで、このことは一般の読書体験と変わらないわけです。つまり、当日聞いた噺そのものに観客を魅了する力があったということになります(選んだ人にパチパチパチ) 観客の前で演じられてこそ落語!というのはそうなんですが、テープやCDから再現される落語ではその時々の演じ手に引き摺られてしまいます(それはそれで素晴らしい体験ではありますが) でも、その点、テキストデータとなった落語の読み上げでは、落語そのものをかみしめることしかできません。 生の落語が一番素晴らしいのはもちろんです。でも、読むことで自分の中に落語に限らず世界を再創造できるのも素晴らしい!楽しみの可能性は色々あったほうが楽しいぞ。この楽しさ、手伝わないわけにはいかないな!と思ったのか思わなかったのか、もう9年も前なのでそのあたりは覚えていませんが(おいおい)、今なおパソボラの一員として、人から人への思いを伝えるサポーターをしています。そっか、私のパソボラの原点のひとつは、アメディアでの音次郎くんだったのか…。 ゑっ、その後「将来美人」のその子はどうなったかって?生落語を聞く楽しみに目覚めたのもそうですが、落語の後に「やきとん」に行ってレバ刺をニンニクで食べることにも目覚めまして「レバ刺はやっぱりニンニクじゃなくっちゃね」が口癖です。あー、将来の美人がー (笑) |
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