財団法人勤労者リフレッシュセンター勤労者ボランティアセンター発行
「退職者ボランティア活動事例集『ボランティアがつくる豊かな社会』全国のシニア47人の活動」より
2002年1月27日 更新
坂戸パソコンボランティア 佐藤功
私のボランティア活動私の参加している坂戸パソコンボランティア(坂戸パソボラ)は会員80数名、坂戸市周辺の障害をもっている人にパソコンをサポートしているボランティアのグループです。障害があることでパソコンの設定や習得の困難な人たちや、パソコンを購入に行くことが難しい人たちへのパソコンの紹介や体験、購入の相談やセットアップ、インターネット接続やメールで送受信できるまでを一応の目安に、依頼者のニーズに応えるべくサポートをしています。「助けて!から助け手へ」がキャッチフレーズです。 パソコンは、障害者にこそ最大に有効利用の出来る道具です。坂戸パソボラにはパソコンができる人もできない人もいます。でも、一緒になってパソボラをする中でサポートするほうにまわり、得たものを還元できるようになることが、坂戸パソコンボランティアの願いのひとつです。 本年度は個別のサポートに加えて地域に密着した事業として、市民を対象に「視覚障害者のためのパソコン体験連続講座」「肢体不自由者のためのパソコン体験講座 活動を始めたきっかけ私は戦中育ちで、貧乏な上、食糧難、就職難の時代でした。勉学に勤しむことも趣味を味わうこともままならず、不平不満を言いながらも働かないと食べて行けない時代を仕事一途に30年間サラリーマンとして働いてきました。やがて、サラリーマンの報われなさに嫌気がさして独立。自営業として自分の利益になることに喜びを見い出し1年を360日働いて来ました。独立して5年後、53歳の時に癌におかされ、58歳の時に癌は完治したと医師に言われたものの、今度は腎機能に異常が見られると宣告されてしまいました。 サラリーマン時代の年金が貰えるようになったのを機に、自営業を廃業。体調不良とはいえ60歳のころには無理をしなければ動けたので、カルチャーセンターの老人大学や地元サークルの英会話教室に参加していました。しかし、62歳で完全に人工透析となり、1日おきに通院するようになりました。ベッドに横になって考えてみると、60歳からの勉学は何だったのか、自己満足だけで終わっていないか、このまま無為に過ごしてよいものか、社会に対して還元していないのではないか、と自問するようになり、1種1級の身体障害者になったのを機に、動けるうちに障害者のためのボランティアに参加したいと考えました。 ところが、自分自身1種1級の身体障害者に成るとは思ってもみなかったので、障害者に対しての知識は全くありません。市役所に毎月1回の障害者医療費助成金の請求に行ったとき、この街には約3千人の障害者が居ることを知らされ愕然としました。 1種1級の身体障害者で63歳。毎日ブラブラと遊び、勉学に励んだところでその使い道は無く、何か自分に満足できることは無いかと思い巡らせ、如何したものかと考えていたところ、坂戸市社会福祉協議会の「ボランティアだより」に載っていたパソコンボランティア募集が目につきました。パソコンは以前から習いたいと思っていたので、この際パソコンが習得できてボランティアが出来るならこれこそ一挙両得と、“不純な気持ち”で坂戸パソコンボランティアに参加したのでした。 苦労したこと、良かったこと私自身、パソコンは全く知らず、パソコンも持たず、せいぜいワープロを少し打てる程度で参加したものですから、メールが出せるようになるまでに本当に苦労しました。パソボラメンバーの助けを借りなければ、とてもパソコンを理解することはできませんでした。現在でも、もちろん苦労は続行中です。 この活動をやっていて良かったことは、自分の意志を十分伝えるのが難しかった障害者が、パソコンを用いることでそれが可能になったこと、そして依頼者に感謝されたことです。私自身としてはボランティア仲間と兄弟同様の交流が出来るようになったことです。 退職前の人達へのアドバイス退職後に自分のために勉学に勤しむのも良し、趣味に生きるのも良いが、退職した時点で最早これ以上身につけるまでもなく、今までに会得した諸々の体験を人生の宝物として、社会に向けて還元しましょう。ボランティアを必要としている人たちが大勢います、未来の自分を助けていると考え、未来の自分のためにボランティアの仲間に入りましょう。「助けて!から助け手」への人間もまた、「助け手から助けて!」に必ずなります。 |