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パソコンでボランティアって?

(パソコンボランティア入門)

パソボラが始まったのは?

では、この「パソコンボランティア」とは、どんなところから始まってきたのでしょうか。

「パソコンボランティア」の動きそのものは、「パソコンボランティア」という言葉が生まれる前からありました。パソコンの普及と共にパソコン通信(と言われてもピンと来ない人のほうが今では多いと思いますが、インターネットが普及するまでは色々なところにあったのです)の大手商用ネットが全国規模で展開され、また各地域に、いわゆる「草の根ネット」や「草の根BBS」と呼ばれる非営利目的のパソコン通信が誕生しましたが、それらのネットの中の「障害者関連」会議室に参加している人たちが、障害のある参加者たちをサポートしようという動きの中から始まったものです。

1994年頃からは、「日本障害者協議会」主催による「障害者関係BBS懇談会」が開かれるようになり、それぞれのサポート経験の交流などが行なわれるようになりました。また、「日本障害者協議会」が運営するメーリングリスト(参加している全員にメールが配信される仕組み)を通じて、大手商用ネットを含めた各地の障害者関係ネットでの、情報の共有化が試みられるようになりました(ネットBBS)。そんなときです。阪神大震災が起こったのは。

この阪神大震災は、「ボランティア元年」とも言われる年でもありました。このとき、「ネットBBS」を通じて、被災地の障害者関係情報が全国に広まっていったのですが、実はこの情報は、埼玉に住む一主婦のところにFAXされ、そこで入力されたものが全国に広がっていったのです。このように、ほんの小さなボランティアがつながり広まることで大きな力となるという、ボランティアと情報技術(それこそITですね)がインターネットを通じて結びついた年でもありました。

現在では、このメーリングリストが発展して出来たパソコンボランティアメーリングリストに配信されたサポート要請に応えて、サポートを求めている人に近い地域の人が、参加しているネットワークやパソコンボランティアグループの枠を超えてサポートに出かけるのが、パソコンボランティアの流れとなっています。

そうした中で、1997年3月には「日本障害者協議会」主催による「パソコンボランティア・カンファレンス'97」が東京で催されました(カンファレンスとは、具体的な事例を通じた研修と交流を行なう会議のようなものです)。

このカンファレンスはマスコミでも大々的に取り上げられたのでご記憶の人もいると思いますが、その翌年、1998年3月には、長野で開催されたパラリンピックの公式文化プログラムのひとつとして「パソコンボランティア・カンファレンス98in長野」が開催され、1999年の春には東京で3回目の「パソコンボランティア・カンファレンス'99」が行なわれ坂戸パソコンボランティアも初めて紹介コーナーを持ちました。

2000年には横浜で「パソコンボランティア・カンファレンス2000」が、2001年には東京の霞ヶ関で「パソコンボランティア・カンファレンス2001」が、そして、2003年2月には埼玉県障害者交流センターを会場に「パソコンボランティア・カンファレンス2003 in さいたま」が開催されました。また、このときプレ企画として開催された「さいたまパソボラのつどい」から、「さいたまパソボラメーリングリスト」も生まれました。

2004年12月には、障害者スポーツ文化センター横浜ラポールを会場に「パソコンボランティアカンファレンス2004 KANAGAWA」が開催されました。もちろん坂戸パソコンボランティアも参加しました。

このように、「パソコンボランティア」の内容としては、実際に依頼者のところに出かけていくサポートはもちろんのこと、障害のある人のニーズに応じたパソコン講座を開催することもありますし、各地のパソボラ同士で研修の機会をもつこともあります。また、使われなくなったパソコンを必要としている人に斡旋する「パソコン・リサイクル」や「パソコン・リユース」などもあります。

ちなみに、1997年に行われた「パソコンボランティア・カンファレンス'97」での話題を中心としてまとめられた『パソコンボランティア』(日本評論社)という本がありまして、1998年の発行でありますが、今でも十分にパソコンボランティアの原点を伝える本ですので、取り寄せて読んでみる値打ちがあると思います。

ちなみに、ちなみに、この中に、私と私の連れあいも何度か登場しておりまして、先ほど紹介した「埼玉に住む一主婦」のエピソードも、実はそのひとつだったのでした。

なお、「パソコンボランティア・カンファレンス2000」で出版された『パソコンボランティア・ガイドブック』という本や「パソコンボランティア・カンファレンス2001」が開催された12月9日の「障害者の日」を記念して発行された「障害者と家族のためのインターネット入門」も、これからパソボラを始めたいと思っている人、パソボラを始めたけれど、どう進めるかで悩んでおいでの人に、とても参考になる本ですので、ご覧いただければと思います(「障害者と家族のためのインターネット入門」のデイジー図書版も提供できますので、ご希望の人は坂戸パソコンボランティアにご連絡ください)。

というところが、「パソコンボランティア」の歴史であり、現状のあらましです。世間一般的には、これが「パソコンボランティア」ということになっておりますが、むろん、それとは関係なくと言いますか、それを知らずにと申しますか、坂戸市社協のような募集もありますし、あってもいいと思います。

でも、募集しているほうの意図はどうであれ、知れわたっているのは、たった今述べた「パソコンボランティア」のほうです。特に、障害者団体の会報やクチコミなどを通じて「パソコンボランティア」を知っていた人たちからは、そういうものだと思ってのサポート依頼があるでしょうし、様々なメディアを通じて「パソコンボランティア」を知っていた人たちからの応募やサポートの依頼も十分に在り得ることです。

ただ、ここで気をつけていただきたいのは、“障害者への「パソコンボランティア」”ではないということです。「パソコンが動かない・・・以前にパソコンがわからない」のは、パソコンがまだまだ人間の本能でない以上、誰であろうと起こり得ることでありまして、パソコンさまを前にしては、障害があろうが無かろうが誰でも大変なんです。

そういう大変さの中でも、とりわけ障害があることでパソコンの設定や習得が困難な人にとっては、個々の障害に応じた特別の手立てが必要となり、そこで“障害のある人への「パソコンボランティア」”が登場するわけです。

様々のサポートの依頼がある中で、そういった手立てを講じると共に、あまり神経質に構えず、たまたま障害のある人からだった。ニーズがあったんだから話を聞いてみようよ、できるだけ応じてみようよ、なんです。

ここで念のため強調しておきますと、パソボラがサポートの要請に応えるかどうかの判断基準は、障害者手帳の有無や等級ではありません。パソコンを使う上での障害(バリア)があるかどうかです。たとえ障害者手帳をもっていたとしても、パソコンの使用に関しては問題が無いのならパソボラがサポートするまでも無いのです。パソボラがサポートするのは、一般のパソコンサポートが追い付いていない分野です。だからこそ、障害のある人がパソコンを使う上での障害(バリア)に縛られないでパソコンが使えるようになるための(一般のパソコン教室では決して教えてくれない)特別の手立てに関する学習が必要になるのです。

もうひとつ念のため、ですが、パソコンを使う上での障害はなくても、外出の困難などで一般のパソコン教室などに参加することが難しいということであれば、パソボラのサポート対象になると思います。ただ、こういったことは、何をやって良いとか悪いとか、固定的に考えすぎてがんじがらめになってしまってもしょうがないので、大体のガイドラインは押さえておくにしても、それから先はサポートの要請を耳にしたパソボラさんが、サポートしたいと思ったら手をあげればいいし、これは違うな、とか、自分には出来ないなと思ったらサポート表明をしないというだけのことです。ボランティアとは、しなければイケナイからするものではありませんので。

ところで、皆様は、「ノーマライゼーション」という言葉を知っているでしょうか。

障害者の人権、価値、尊厳性は他の住民と同一であり、障害のある人もない人も、平等に生活できる社会こそが「ノーマル」な社会であるという理念に基づき、障害者が地域社会で、他の住民と同じ生活をすることを目指すもの。それが、ノーマライゼーションです。

児童文学作家の岡田なおこさんが、『なおこになる日』(小学館)で、ノーマライゼーションを 実に分かりやすく表現しています。

「ノーマライゼーション」とは「障害者を差別しないこと」と思われがちですが、「障害者が乗る台をつくること」ではないかと私は思います。(中略)

そして、最近、世間を見回すと昔の私のように形ばかりのノーマライゼーションを訴える人がたいへん多い気がします。

障害の有無にかかわらず、どんな人間にも「差」はあるのです。差があることを劣性と思わず、自らのマイナス面を認識したうえで、「この差を補うには、どんな踏み台が必要かな?」と考える。これがノーマライゼーションの第一歩ではないでしょうか。

いかがですか? 障害のある人(障害者)を自分(たち)とは違う存在として特別視していませんか? もちろん差別はイケマセン。でも、特別視も(ヘタすると障害者は心清らかな存在であるとする神聖視も)イケマセン。必要に応じた配慮は(それこそ)必要ですが、それ以外については、ごく普通に付き合いたいものです(そうでないと、お互いに息が詰まってしまいます)。

「情報アクセスは人権」であり、パソコンは「情報アクセス」の有効な手立てです。障害のある人も、ない人も、平等にパソコンを生活に活用できる社会こそがノーマルな社会であると言い切って、障害のある人たちと一緒に、大いに「パソコンボランティア」を打ち出していけたらと思います。

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